錬心舘の
歴史

少林寺空手道錬心舘の起こり

少林寺流空手道錬心舘は、開祖(故)保勇(たもついさむ)宗師により誕生しました。

開祖は少年時代隣家に住む沖縄糸満の漁師より空手術の手ほどきを受け、17歳のとき台湾に渡ります。 台中市武徳殿において(故)中原忠男先生のもとで講道舘柔道を学び、また中国拳法の達人(故)陳老師より中国南派拳法を修得します。

第二次世界大戦後、人心の荒廃を憂い、武道による人づくりを発願。沖縄に渡り、沖縄空手界で名人キャンと謳われた(故)喜屋武朝徳先生の直流を(故)島袋善良先生より修得し、正流七法の型を集大成しました。

空手道の他にも開祖の武暦は広く、講道館柔道・方円流体術・兼相流柔術・八光流柔術、他、棒・杖、釵(サイ)・剣を修得。これら半生にわたって体得した諸武術を総合整理し、さらに鬼気迫る猛稽古の末に自ら編み出した幾多の組手技を付加して、1955年11月8日、鹿児島市高麗町に少林寺流空手道研究会・錬心舘道場を開設。僅か10坪にも満たない小さな道場から錬心舘空手道の輝ける歴史が始まりました。

開祖 保 勇 Isamu Tamotsu

少林寺流空手道連盟錬心舘 創始宗家 十段範士 称号 少林寺 守門 勲四等瑞宝章 受章

開祖(故)保勇宗師は、1919年(大正8年)鹿児島県奄美市に生まれました。

戦後当時、型至上主義の中にかたくなまでに固執していた空手道の封建制を打破。未開拓であった組手技術の一大集成をなしとげます。

人命尊重の見地から一貫して組手における安全性と合理性を追求。安全かつ実拭的な防具着用の試合制度を実施し、勝敗の明確化につとめ、スポーツ性と武道性を兼ね備えた真の大衆武道としての組織を確立。空手界に新機軸を打ち立てました。

又、空手道は東洋道義の根幹を形成する五徳(信義礼智仁)の涵養に最も資する武道であるというゆるがぬ信念の下、早くから空手道を通した人づくりに心血を注ぎました。

錬心舘創設時、既に若き門弟と共に「真の空手道の創造と健全な社会の創造」をめざし、日本全土に人間形成の空手道を広める「大志」を持ちます。その道程は耐乏困窮の中に困難を極めましたが、ウィリアム・ワーズワースの「暮らし低くとも 想いは高く」の言葉を愛し、艱難辛苦の日々を温め、錬心舘を日本空手界に冠たる一大拳団に発展させました。 その卓越した技量と人格により「空手界の至宝」と謳われています。

全日本少林寺流空手道連盟、鹿児島県空手道連盟、西日本空手道連盟を結成し会長に就任。

1964年 鹿児島県日置市伊集院町に拳士ヶ丘(総本山)を開山し拳士の塔を建立。

1965年 中国体育総会の招きを受け、武道家として戦後始めて中国大陸を訪問します。日中武術界の交流に努め、この方面でも先覚者としての道を歩み続けました。

錬心舘紹介VTR 錬心舘の歴史がまとめられています。

宗家 保 勇 訓 一臓一腑(いちぞういっぷ)の麻痺はただちにその生命に関わることを念慮(ねんりょ)し 心修を以って秘拳を磨き、たとえ一撃二撃を受くると雖(いえど)も、 莞爾(かんじ)として泰然自若(たいぜんじじゃく)たれ

二代目 保 巌 Iwao Tamotsu

十段範士 称号 少林寺 守正

故第二代目宗家保巌十段範士は開祖保勇十段範士の長男として昭和23年鹿児島県名瀬市にて誕生。平成12年5月少林寺流空手道錬心舘宗家を襲名。

師であり、父である開祖の薫陶の下、厳しい修行を重ね、型・組手の技術を極めます。

全国大会における特別演武少林寺流正流七法の最高峰「公相君(クーシャンクー)」の型は、壮絶豪快の中に華麗さを備えた完成された型と評され、また、組手技術は防ぐことのできない空手道の最終技術として空手界の畏怖の的となった「後ろ回し蹴り」「連続回し蹴り」「二段廻転蹴り」「足刀くの字飛び」「螺旋回し蹴り」「逆風足刀蹴り」等あらゆる技術に精通して、昭和42年、第一回全国選手権大会において圧倒的な強さで優勝を飾り、以来指導者として普及活動を開始。

昭和44年若干19歳でフィリピンに渡り、バギオ商工科大学で指導。昭和46年には台湾派遣団の団長として台北市に於いて指導、昭和56年にはドミニカ共和国を拠点に中米各国で指導、現在活動する米国、台湾、ドミニカ共和国、プエルトリコ、パナマなど海外支部の基礎を創りました。近年は欧州、インド、イラン、北米など各地で指導にあたり、深い精神性を有する代表的な日本武道として、年々、愛好者の数を増やし空手道の国際化に貢献され、また、国際交流や福祉活動も積極的に展開された。

「空手道の神髄は型にあり。」合理性に立脚した華麗でスピード感溢れる型の指導普及を通じて心技体に充実した健全な青少年の育成に大きく貢献しました。とりわけ、少年拳士達の可能性を引き出し、少年空手道を全国的に広めたことは顕著な功績でした。

平成28年11月29日享年69歳、惜しまれつつ逝去されました。挙聖と謳われた開祖保勇師の後継者として、少林寺流空手道の国際化と正流七法の型の正確な伝承に貢献された尊い生涯でありました。